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2015.11.09

(連載)WEBLOG「奏 KANADE」第1章「クレモナ音楽紀行」VOL.2

WEBLOG「奏 KANADE」第1章「クレモナ音楽紀行」VOL.1 https://www.virtuoso.co.jp/post-485/ からのつづき

(音楽の街・クレモナ)
クレモナはヴァイオリンという楽器自体に脚光があたりがちですが、実はその母体とも言うべき音楽において顕著な歴史を持っています。12世紀にできたクレモナ大聖堂は、中世後期のこの地域の音楽活動を組織した場所と考えられています。この時代からさらに下り、ルネサンス、バロック音楽の時代となり、16世紀頃にはクレモナは有名な音楽の中心地となったようです。作曲家マルカントニオ・インジェニェーリと、その弟子であるクラウディオ・モンテヴェルディは、音楽史にも名を残す作曲家であり、ともにクレモナで活躍した偉大な存在です。そして、この時代に音楽の理解者であり、庇護者となったのがクレモナ司教ニコロ・スフォンドラーティ、後の教皇グレゴリウス14世です。彼は音楽の熱心な後援者となり、音楽文化の発展とともにクレモナの街も音楽都市としての名声を高めていったのです。

(クレモナ派は衰退したが…)
そして同じ時代、音楽の需要が高まる中、クレモナは楽器製作の中心都市としても名声を得ていくことになります。VOL.1で記述しましたように、アマティ・ファミリーに始まり、ストラディバリ・ファミリー、グァルネリ・ファミリーなどが中心となっていきます。「音楽があるから、楽器を製作する」という極めて自然な理由であったのでしょう。クレモナの楽器製作は、ベルゴンツィ家末裔と、その後のストリオーニらの系譜が明確でない部分がありますが、およそ、アマティ、ストラディヴァリなどの伝統は、ストリオーニやその弟子であるG.B.チェルーティまで受け継がれたといってよいでしょう。チェルーティの初期の作品はストリオーニの多大な影響を見てとることができ、このタイムポイントがクレモナ派の終焉と考えてよいと思います。

(イタリアの楽器製作の歴史は終焉せず)
衰退の理由には様々な説があります。14世紀~数百年、ヨーロッパ地方は「準氷河期」と言われるほど気温が低く、そのために木目の詰まったイタヤカエデが育ったと言われます。そのような材料を伐採し、楽器用に得てきたものが、その後は気候が変わり、得られる原木の質が変わってしまった…とも。それが理由かどうか定かではありませんが、クレモナ派の歴史は終焉したとはいえ、イタリアの楽器作りの歴史が終わったわけではないことは事実です。神秘的な物語として、ストラディヴァリやクレモナ派に対する意図を持った過剰な権威づけをしたい人々には申し訳ないですが、イタリアではその後も素晴らしい楽器が作られ、偉大な製作家を輩出してきています。とりわけ、ストリオーニからトリノのプレッセンダへの系継は明確であり、以降、現代にいたるまで、概してイタリアの楽器製作は「衰退」「終焉」はなかったといえるでしょう。
そして、19世紀に終焉したクレモナ派の楽器作りを現代に再興したのは、イタリア文化への陶酔者であり国粋主義者、独裁者ベニート・ムッソリーニ。皮肉にも彼の保護と奨励により、ヴァイオリンの街クレモナは復興の手掛かりを得ていくのです。

(現代のクレモナ)
イギリスのオークションで、日本音楽財団が12億7000万円で落札した1721年製のストラディヴァリ「レディ・ブラント」。価格についての賛否両論はありますが、プロのヴァイオリニストには絶大な存在であり、憧憬の的であるストラディヴァリなど往時の名器は、もちろん現在でも演奏に使用されています。その寿命の長さは人間をはるかに超え、人から人へと受け継がれるべき歴史的遺産であります。現代の製作家も偉大なるストラディヴァリに尊敬の念を持っていることは確かでしょう。しかしながら彼らが目指すものは、その真似ごとでなく、そこから派生してきた現代の「美徳」たる楽器の姿でなければならないと私は考えています。現代の名匠、G.B.モラッシーやその師であるオルナティ、ガリンベルティ、ズガラボットなど、今のクレモナをつくりあげた偉大な製作家こそ、彼らがまずリスペクトし追求するべきものではないでしょうか。そしてそのはるか奥にある究極が、ストラディヴァリなのだと思うのです。
現在、クレモナには100以上のヴァイオリン工房が軒を連ね、弦楽器製作学校、音楽学校があり、世界中から楽器作りや音楽家を志す若者が集まります。クレモナをはじめ、現在の最高の製作技術は、往時のクレモナの名工たちに匹敵するものを作れる水準にあるとも言われます。そんな楽器を訪ね、求め、クレモナの街を歩き、16世紀~18世紀のクレモナの街や人々、楽器工房の姿を想像してみると、そこに流れる歴史の重さをひしひしと感じてしまいます。

[次回より「奏 KANADE」は、第2章「ヴァイオリンが作られるまで」を連載いたします。]

*ヴィルトゥオーゾには拠点となる事務所がクレモナにあるほか、年に3~4回は日本から出張し、各工房を訪問しております。「一度は訪れてみたい!」という方は、お気軽にご相談ください。私どもがお手伝いさせていただきます。是非その夢を、実現させましょう。